Diary

絵日記

11月29日

占いが嫌いである。
嫌いと言うことは、
信じていないくせに気にしていることになる。
ところが、何を間違ったかネットでやってしまった。
日本歴史占い
■頭脳・知識
ひらめきの鋭さ、創造力は他の追随を許さず、独自の世界を開拓していく。
助言に耳を貸さないので疎まれることも多いが、
根は案外と単純。放任主義のもとで才能を開花させる。
■センス
人間関係、衣食住_あらゆる面でバランス感覚に欠け、
バランスをとろうとするとかえって崩れる。
対外的には何とか繕っていたとしても、
身近な人にはかなり迷惑をかけているはず。
■感情
大きな態度をしていてもウソをつくと顔が赤くなるような小心者だが、
プライドの高さは人一倍。ある意味純情で根回しなども下手なため、
ツメの部分で失敗することも多いはず。
■外見・言葉
本人はフレンドリーにしているつもりでも、とっつきにくい印象は拭えない。
変わった風貌・雰囲気に相手が引いてしまうことも。
■行動
挙動不審気味。計画や予定にとらわれず、その時々の思いつきで行動する。
距離や時間の感覚が他の人とずれているのでよくも悪くも神出鬼没。
相手は歴史に残る人物、
凡人にとっては欠点だけがもっともらしい。
結果は
「危なっかしくて見ている人をハラハラさせ、
あなたがよしすることは、
従来の常識・定石から大きく外れていることが多いのです。
やるぞと決めたら、それまでの経緯や人間関係、
時間や場所もお構いなしで、まるで宮本武蔵。
だから、並の人間には到達できない境地が開け、大きな業績が上げられるのです。
武蔵の剣は師匠につかない独自のもので、ましてや人に仕える器でもなし。
結果的に『五輪の書』とう不朽の作が残されました。」
でした。
宮本武蔵は人も絵も好きですが。

11月27日

画家というのは、
職人の一種でもあるから
強制的に長時間カンバスの前に座る必要があります。
描かないことには作品は出来ません。
個展が近づいてくれば
追い詰められるのだけれど
単なる製作ではない、
創造的な制作は
「その他」がないと生まれてこない。
人と会ったり
本を読んだり
人としての当たり前の生活も必要、
あくせくしないで時間の遣り繰りをしたいものです。

11月23日

先週の土曜日の朝、
画商さんより電話があり、
25日までに小品を3〜4点届けて欲しいとのこと。
町田小田急の逸品展用に持って行くのだそうです。
十数点同時進行で個展用に描いていますが、
制作中の作品が増えるばかりで
完成作はほとんど無く
急遽4点完成させました。
町田小田急は個展の話が進行中ですから
手が抜けません。
ぐずぐずしてたのが急かされる形で
4点一気に完成できましたが、
これらは来年一月の町田小田急用に行ってしまうわけで
仙台個展の準備としては後退してしまいました。
話が具体化しつつある来年の東京個展も考えると
かなり気持ちも焦ります。

11月19日

アマゾンに予約しておいた
中島みゆきの最新アルバム「いまのきもち」が
発売日に届き 繰り返し聴いています。
二十年以上も前の曲を多数含むこのセルフカバーアルバムは
嘗てよく聴いていた曲を
歌唱面でより表現力が増した彼女がどう歌うか
と言う興味で買ったものです。
感動を新たにしたいと思いました。
しかし、購入動機から外れた所に
強い引っかかりを感じています。
歌詞カードに書かれた前書き、
文章が内容がどうだとか感想は持ちませんでしたが、
自分が作った曲達を「我が子」と綴っているのを読んだ時
心の中であの映画と見事なシンクロを示しました。
日記に何度も書いた「ニュー・シネマ・パラダイス」、
あのラスト、
五十歳を過ぎ、独り身で、
作品を「私の子供」と呼ぶ彼女はトトそのものです。
仕事上の大成功にもかかわらず
中島みゆきは大きな喪失感を持っているでしょう。

11月15日

最近の自分にとって、映画が文学的、
行間を読ませるような表現、
さらに言ってしまえば、
「芸術的」であることは必ずしも褒め言葉ではありません。
映画を時間の流れに乗って見る不可逆的エンターテイメントとすれば、
「グロリア」のアイデアを熟成完成させたのが「レオン」とも言えます。
見せる技術では「グロリア」はもう古いと感じます。
酷似している冒頭虐殺シーンは
やはりオマージュよりもパロディに思えて来ました。
「グロリア」を芸術肌インテリ好みとすると、
映画をエンターテイメントと考えるリュック・ベッソンのメッセージがここにあります。
ベートーヴェンを理解しない部下や庶民を見下すスタンスフィールドを使って
逆にこんな事を言わせます
「ベートーヴェンは最高だぞ
序曲を聴くと身震いする
だが序曲のあとは退屈なだけだ」
ベートーヴェンとは何のことでしょうか、
誰のことでしょうか。
映画の中で重要な登場人物がクラッシック好きなのに
全く音楽として使われていませんし
ライトモチーフのように
スタンスフィールドが出てくると
クラシック風に音楽アレンジが変わることもありません。
クラシック音楽好きのスタンスフィールドを
ベッソンは「悪役」にしました。
主人公のレオンは知的レベルの低い技術屋として描かれています。
ではマチルダは何でしょうか?
と今、考えていますが、この話題はこれで一旦終わりにします。

11月14日

「グロリア」はハードボイルドアクションであっても
「レオン」と比べると静かな落ち着いた雰囲気があり
説明的な描写も少なく、結局グロリアが何者なのかもよく分からず
観者にゆだねて行間を読ませる作りとも言えます。
「レオン」がマンガなら、「グロリア」は小説でしょうか。
物語の導入部などを見ると
はっきりと「レオン」は「グロリア」を意識して作られています。
オマージュですが、パロディと捉えることも無理ではないと思います。
さて、映画が文学的であるのは
果たして褒め言葉であるのかどうか。
嘗て、絵画に関しては、
自分にとって文学的とは
造形力の貧困を表し否定的表現でした。

11月13日

人間の進歩を素朴に信じることは出来なくとも、
カラバッジョから始まった野蛮なバロックも
レンブラントやフェルメールらによって乗り越えられ、
洗練されて完成したように思えます。
こんな事を言い出したのは、
映画「レオン」の原型と言われる「グロリア」を
久しぶりに見たからです。
もちろんシャロン・ストーンのリメイク版ではなく
ジーナ・ローランズのオリジナルです。
DVDレンタルサイトにはカスタマーレビューが幾つか載っていて
その中である人は「レオンのようなマンガではない!」と賞賛し
マンガを否定的な意味に使っていました。
確かに「グロリア」と比較すると「レオン」はマンガ的だと思いますが
映画がマンガ的であるのは欠点でしょうか?

11月8日

どうにもこうにも買い物下手なようで、
毎週のようにバラを買っているんですが、
昨日などは開きすぎたものを選んでしまって、
「これもうすぐ終わりなので一本サービスします。」と同情され、
得したような損したような不思議な気分になりました。
今晩のデッサンに使える大きさか?
明日朝の撮影に開くか?
なんて変な基準を持っていますから
すぐ隣に小振りな花がいっぱい付いたスプレーバラがあっても
わざわざ貧相な先の短いバラを選んだりします。
花瓶に生けたバラを真っ正面から描くのは難しいですね。
実にありきたりでつまらない絵になってしまいます。
明日の午前4時から10時半までサブサーバーのメンテナンスがあり
日記の過去ログ1やPDFなど一部のコンテンツが不通になります。

11月7日

昔、人物画で顔や手を描くと消されてしまうような美術教育がありました。
柔軟なビジョンと偏屈なビジョンを取り違えていたのだと思います。
自分が美術大学にいた頃はもうそんなことはありませんでしたが、
それでも、やはり問題になるのは「頭部」であって「顔」ではなかったのです。
そして、今、制作の中で「顔」は重要な要素となっています。
しかし、
人間の「顔」なら当然注意を向けるべき「表情」を無視してきたことに気付きました。
ここは一番畏れていた、
絵画が言葉と出会う地点でもあるのです。

11月1日

さて、ついに11月である。
あと三ヶ月で35点の油彩を揃えなくてはいけない!
と言うわけで現在12枚同時進行中です。
今日は6枚の油彩を取っ替え引っ替えイーゼルに載せました。
昔は一点ずつしか描けませんでしたが
必要に迫られ無理をしている内に慣れました。
今は制作中の絵でも現物を見ないと忘れているものすらあります。
Oil Paintingに8月の町田小田急に出品した油彩新作を掲載しました。
これは昨年末に年賀状に使おうと馬力を掛けたんですが
とうとう完成せず、
半年後の夏にやっとできたものです。
作品制作は計画性を持って、なんて学校では言ってますけど、
絵は何処からやって来るか分かりません。
同じ事の繰り返しも嫌いなのでエスキースはしなことが多く、
実際のカンバス上で考えるのが好きです。
で、今日の日記絵は人物背景のイメージストック、頭に入れます。
出会いを待ちましょう。