Diary

絵日記

10月30日

保険会社のCMを見ていたら、
使われている音楽が「ニューシネマパラダイス」のものなのに気付きました。
ひとつの駅前風景を通して見せる父と娘の人生です。
別に嫌なCMでなどなかったのですが
途端に難癖を付けたくなりました。
平凡で幸せな父娘なんてトトには無関係、
あのラストのトトの気持ちを理解できるのは自分だけ。
人から愛される作品には、そんな錯覚を起こさせる力があります。

10月26日

新しいバラのシリーズを描くために
花瓶の収集を始めました。
やはり、安くて良いものなんて
なかなかありませんね。
高価なものでも気に入ることは少ないですが。
「花瓶に花」、こんなモチーフは
ちょっとでも積極的な志を持った絵描きなら
回避したくなるもので
自分もほとんど描いていません。
しかし、凡庸な視点も多くの人に好まれるには
単なる慣習では括れない何かがあります。
バラを描いても花瓶は無視してきましたが、
「ありきたり」に向かい合ってみたいと思っています。

10月24日

サンタクロースは存在するという映画を見ました。
映画のできにはそれほど感心しませんでしたが、
納得、
サンタクロースは確かにいます。
「私はサンタクロースだ!」と主張するおじいさんの話です。
もちろん彼は正気、ノーマルの設定。
似た趣向の映画にジョニー・デップ主演の「ドンファン」があります。
こちらは「自分はドンファンだ!」という青年のお話。
彼も精神病院に入れられますが、行為の意味を正しく理解しています。
「34丁目の奇跡」、おかげさまで、この歳になってやっと気が付きました。
クリスマスにプレゼントを贈っているのが「彼」でないなら
「恋愛」だって存在しないことを、ね。

10月21日

無理なく自然に自分らしく生きる、
なんて事は全く信じていないわけで、
そんなところからは人工物である「芸術」は生まれてこないでしょう。
その辺が「芸術は嘘である」所以ですが、
「芸術鑑賞は退屈を我慢する技術です。」などと言うと、
もうほとんど賛同は得られない気がします。
芸術を鑑賞することは自然に身に付くものではありませんから
人生を積み重ねただけでは理解は深まりません。
自分はと言えば鑑賞は昔から苦手ですね。
友人達と比べるとそう思います。

10月19日

無垢な目なんてあるわけはなく、
フィルターを通してのみ現実が見られる。
写真だって機械的で非人間的なものではなく、
生まれた時から人間化されている。
映像そのものには天地も左右もない。

10月16日

先日更新したSchoolは、
某有名写真家のWebシリーズに啓発されたものなんですが、
プロ写真家の技量というものは大変なもので
簡単に真似なんか出来ません。
昔、高校時代の同級生と新幹線で偶然に同席し、
絵画好きだった彼が、
絵が描けないから代わりに写真をやろうと思ったが写真の方が難しかった
と言ったのを覚えています。
今にして思えば、
彼は絵画のことをよく知らなかったのですね。
そう、絵画の方が遙かに難しい。
そして、面白い。
何時の頃からか、
部屋に貼るカレンダーやポスターの類が全部複製画になって
写真が一枚も無くなっていました。
絵画の魅力には全くかないませんから。
そんな中
昨日から地元仙台の写真を撮り始めました。
風景資料としてではない純粋写真は初めてのようなものです。
テーマは「仙台再考」、
きっかけは先月の上京で、
人間も土地も充分過ぎるほど既に持っていることを確かめたいのです。

10月11日

運命を信じるか?
時間というものをどう捉えるかで答えは変わりますね。
過去から未来へ流れる川のように考えるなら、
否。
しかし、前世紀初頭、
私たちは時間も絶対的なものではなく、
相対的なものであることを知りました。
未来が過去を決定する。
人生が創造なら、
運命はあります。
「幸運な偶然」
そんな原題の映画を昨日見ました。

10月7日

学生の頃、
「部分で見るな、全体を見よ。」と言われ、
卒業したら、
全体など存在しないことに気付いた。
パソコンは幾らでも拡大表示が効くから
際限なく細密描写ができる。
油彩でも予測していたことだが、
実は部分というのも存在しない。
かつて、極限の細部は
意味を持たない色彩の染みだと思っていた。
しかし、部分をいくら拡大しても出てくるのは
新たな意味を持ったシンボルである。
画家は言葉から解放された「純粋絵画」という夢を見る。

10月4日

どうも語り過ぎの表現に疑問を強く感じています。
先日の「ひまわり」でも、
地下鉄の駅から出てモスクワの町並みが広がるシーンや
遙か遠くの丘まで連なる兵士の墓標のワンカットは
最新の映像技術が生み出す生々しいのに何故か嘘っぽい表現とは対照的に思えるのです。
映画は元々写真がベースで語り過ぎるメディアではありますが、
簡潔率直な古い映画の技術に共感を覚えます。
自分の描写や現代の絵肌作りも「語り過ぎ」に他ならず、
油彩画の技法などは油絵具が持っている物質感だけで充分だと感じます。
春先から夏に掛けて歳月を経た木彫のような絵肌を作ろうと奮闘し、
そこに現れた一見「風格のあるマチエール」に間違いを見つけた結果でもあるんです。

10月2日

映画をDVDレンタルで借りるだけでなく、
ネットショッピングで買うことが増えてます。
借りる時の基準は様々ですが、
買うとなると見るだけとは違った基準になりますね。
「賞賛」だけでは足りませんし、
ある種の欠点はマイナスとは限らないです。
最近の購入リスト
「ニューシネマパラダイス(初公開時の短時間版)」
「ひまわり」
「シェルブールの雨傘」
インテリ・映画通好みはひとつもないですね。
あっ、気が付いたらハリウッドも。
「ニューシネマパラダイス」は完全版と比較して、
作者の思いと完成度の問題について考えさせられ、
「ひまわり」からは現代の映像技術に対して
遙かに力強いシンプルかつシンボライズされた表現を見せつけられ、
「シェルブールの雨傘」では、
少年期に見た時の記憶にはない甘いメロドラマに添えられた
少女の恋に対するシニカルな視点を発見しました。