10月13日
久しぶりに、絵日記画像ネタの取材に出かけた。
で、
何となくフレッシュな気分です。

そのついでと言ってはナンだけど、
アマチュア展覧会の一般投票審査をやりました。
縁のある画材屋さん主催なので
投票しないわけにはいかんのですよ。

仕事でもなけりゃ、
絵に順番なんて付けたくないけど。

しかし、
取材していてデジカメの電源不安定には
泣かされます。
200枚はいけるとあるのに、
2枚目でもうファインダーが暗くなる。
同じ電池でCDプレーヤーは充分回るぞ!

10月11日
赤ピーマンの歌
なんて童謡にでもなかったかなぁ〜。

制作スタイルをこのところ変えていて、
多くの作品を同時進行ではやらなくなってます。

ですから、週に一作品ずつは上げていきたい、、、、
、、、、ムリ?

いつもながらの
初心は大きく、結果は小さく。

10月9日
寛容なる宗教
本文と関係なし

また、Chihiroさんより掲示板に真摯な書き込みがありました。
その書き込みとレスを掲載します。

長谷川さん、こんにちは。
私達の願いも虚しく、アメリカはついに攻撃を開始してしまいました。
米国の行為はまるでジャイアンがのび太をいじめているような感覚をおぼえます。
以下の文章は、ある中学の先生が生徒への通信として配ったものだそうですが、めぐりめぐって届きました。もし、皆様が他の方に伝えたいと感じるものがあれば、どうかほんの少しの時間 を割いて、友人、知人に転送して下さい。


もし 今日がついてない一日だと感じたあなたもこれを読んだら現実が違って 見えるかも・・・

 もし、現在の人類統計比率をきちんと盛り込んで、全世界を100人の村に縮 小するとどうなるでしょう。その村には・・・

 57人のアジア人
 21人のヨーロッパ人
 14人の南北アメリカ人
 8人のアフリカ人がいます

 52人が女性です
 48人が男性です 

 70人が有色人種で
 30人が白人
 70人がキリスト教以外の人で
 30人がキリスト教

 89人が異性愛者で
 11人が同性愛者

 6人が全世界の富の59%を所有し、その6人ともがアメリカ国籍

 80人は標準以下の居住環境に住み
 70人は文字が読めません
 50人は栄養失調に苦しみ
 1人が瀕死の状態にあり
 1人はいま、生まれようとしています
 1人は(そうたった1人)は大学の教育を受け
 そしてたった1人だけがコンピューターを所有しています

 もしこのように、縮小された全体図から私達の世界を見るなら、相手をあるが ままに受け入れること、自分と違う人を理解すること、そして、そういう事実を 知るための教育がいかに必要かは火をみるよりあきらかです。

また、次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

 もし、あなたが今朝、目が覚めた時、病気でなく健康だなと感じることができたなら・・あなたは今いきのこることのできないであろう100万人の人たちより恵まれています。

 もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や苦悩、あるいは飢えの悲痛を一度もたいけんしたことがないのなら・・・あなたは世界の5億人の人たちより恵まれています。

 もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を感じることなしに教会のミサに行くことができるなら・・・あなたは世界の30億人のひとたちより恵まれています。

もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるのなら・・・あなたは世界の75%の人たちより裕福で恵まれています。

もし銀行に預金があり、お財布にお金があり、家のどこかに小銭が入った入れ物があるなら・・・あなたはこの世界の中でもっとも裕福な上位8%のうちのひとりです。

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・それはとても稀なことです。

もしこのメッセージを読むことができるなら、あなたはこの瞬間二倍の祝福をうけるでしょう。なぜならあなたの事を思ってこれを伝えている誰かがいて,その上あなたはまったく文字の読めない世界中の20億の人々よりずっと恵まれているからです。

昔の人がこう言いました。 わが身から出るものはいずれ我が身に戻り来る、 と。
お金に執着することなく、喜んで働きましょう。
かつて一度も傷ついたことがないかのごとく、人を愛しましょう。
誰もみていないかのごとく自由に踊りましょう。
誰も聞いていないかのごとくのびやかに歌いましょう。
あたかもここが地上の天国であるかのように生きていきましょう。

Chihiroさん、書き込みありがとうございます。
未だ戸惑っております。
以下のレスと供に日記に載せることで転送に代えさせて頂きます。

 まだ学生の頃、自治会活動のようなものに関わったことがありました。主体となっていたのはある政党の青年組織で、その政党は今もっとも護憲的な立場をとっています。
二年生の春休みに勉強会か研修会のようなものを行ったことがありました。集合場所に最初に現れたのは創造者としての建築家を志す、私と同じく青年組織外の学生で、一方、そこで幹部的な役割を担っていた二人は理由もなく二時間以上遅れて来たのを象徴的な出来事として覚えています。
 その頃に聞いた、諜報活動の話で、朝に顔を洗っていた時、その洗い方が同胞民族と違うのでスパイであることがばれたというのがありました。何かしらの思想を持ち変革を唱えるならば、翌朝、もう顔の洗い方から違う。そんな基準を自分の中に作ったものです。ですから、その会で一番心を打ち記憶に残っているのは壮大な改革思想ではなく建築に対する熱い思いでした。
 先日の日曜日、少し遠い散歩に出かけました。友人から求められた反戦署名メールについて考えながらです。近所に動物園や観光名所の城趾があるので多くのマイカーが列を成します。アフガニスタンとは文字通り別世界の光景でした。この夏に新しくした自分の車と比較して素朴にみんな高そうな車だなあと思いながら傍らを歩いていきました。通勤にも車を使うので普段でも感じていることなのですが、ほとんど一人しか乗らず高速走行もたまの人に1500cc以上の車が必要なものでしょうか。もちろん基準が違うところにあるのはわかっています。実のところ私が買ったのは1000ccのエコカーですが軽自動車でも十分なはずです。けちくさい「ステータス」、微かな「贅沢」の残滓が見えます。
 自分の物質的・経済的豊かさを取り払ったときに現れる心の貧しさに耐えられるのかと思います。今朝、出勤前のテレビで日本のイスラム聖職者の方がジハードの意味について語っておられました。同胞を助けるために戦う小ジハードに対して、大いなるジハードとは自分との戦いなのだそうです。反戦・平和のために自分は何を捨てることができるでしょう。
 その人の日常生活を離れて主張を受け取ることができないのが自分の欠点です。単純な評論家嫌いです。ここへも時々いらっしゃる門脇さんの「テロリズム日記」を読んでいますが、それも、氏のホームページ全体から感じられる実生活を抜きにすると、私にとっては意味が少なくなってしまうのです。だからこそ、氏の「反暴力」には筋の通ったものを感じます。
 私の古い友人に、「みんなで貧乏になろう」こんな主張をする政党が出てきたら、即、支持するという人がいます。ポイントは「みんな」というところで、この反ヒロイズムもまた気に入っています。残念ながら、意に反して今のところ彼だけが貧乏かもしれませんが。また、新聞で読んだ辺見庸氏のアメリカ批判に対しても氏の肉体を通した経験主義を離れては聞く耳を持たなかったかもしれません。
 実際のところ、戦争とテロの定義や、憲法解釈にはほとんど興味を持てませんから、ブッシュ大統領の報復開始の指令を出す前後のいらいらして不機嫌な様子を伝える記事の方に注意がいきます。人間を見たいのです。数日前の、国連難民高等弁務官の緒方氏が同じ新聞で語っていた悪い中からでもましな方を選んでいく現実的な対応なども印象に残っています。
 平和への道を阻むのは好戦的な人種などではなく、こんなことを書いている私自身なのだと思います。「カラマーゾフの兄弟」のイワンは、人類なら愛せるのだが何故か隣人を愛せないと言います。また、私は日頃から無自覚に「脅し」をよく使っています。「作品を出さないと赤点にするぞ!」根気がないのです。こんな私の「平和主義」を誰が信用するでしょうか。言いたいことが漠然として文をなさず駄目ですね。
でも、
 最後に別なタイプの先生を空想して終わりにします。

危機は今月も叫ばれている。
ある小学校教師が言っている。
「毎年、三学期の授業の時、私は子供たちに、
今年、第三次世界大戦は起こると思うかと訊ねることにしている」と。
しかし、
座談会には出ないが、
君達は、友達にした約束を破らなかったか、と授業の始めに、
子供たちに訊ねることにしている教師だって、必ずいるだろう。
それが信じられなくて、何を信じよう。(小林秀雄)

10月6日
油彩による静物画を
三年ぶりで描き始める。

今までは近所の八百屋等でモチーフを探すことが多かったが、
今回は町中へ出かけた。

目的の洋梨を過ぎてザクロに目が行く。
ボリューム感が心地良い。

三軒回って、最後が一番安く
効率的な買い物でした。

10月4日
絵の勉強を始めた頃、
逆光じゃないと良い絵が描けない気がしていた。
形から逃れたかっただけだ。

このところ変に寒い。
扇風機とヒーターが入れ替わった。
程良い季節の期間が短すぎるよ

変化が激しいと鼻がやられて、
花粉症と同じ状態になってしまう。
春に耳鼻科で貰った点鼻薬が役に立つ。

あたりまえだけど、
誰かの役に立つことほど嬉しいことはないね。
文脈変だけど書いてる今の気持ちです。

10月2日
好きな絵画の人物に似ていると
誉め言葉のつもりで話して
大ひんしゅくを駆ったことがある。

日曜美術館の「村上隆と奈良美智」を
高校生達に見せた。
若い人に人気というので。

それほど期待はしていなかったが、
やはり、
なんの興味も示さない。
見せたのは美術部員だけにである。

さる高名な美術評論家が、
学校教育において、
美術は鑑賞教育だけに集中すべきと語っていたのを思い出す。
「素人」恐るべし。

9月30日
恩師の仕事をまとめた画集を貰った。
フジコ・ヘミングのビデオを見た。
本物の芸術家の仕事は
何かが決定的に違う。

若い頃は、まず同化して
自分の制作に燃えたものだが、
今は最初に凹む。

余計な回り道をしないだけましになったとも言える。
しかし、とても芸術家とは言えない似非芸術家は辛い。

自然な描写を心がけている。
それが絵を壊すこともある。
今日も光の表現が構成を阻害した。
乾燥をを待って描き直し。

9月28日
この絵日記もだいぶ過去ログが溜まってきたので、
読み返してみた。
「前後不覚」で(意味が違う)
そうだっけか?というのがけっこうある。

過去ログを残す前のものは当然消えているわけだが
掲示板の方へコピーして残っている文がひとつあった。
やがて掲示板からも消える運命、
めったに文章など書かないので
ここに再録して残すことしました。

5月15日
先日見たテレビ「夢の島少女」の解説に
思春期の少年少女の「生」と「性」を描いた云々とあった。
しかし、この作品は「死」と「性」が前面に出ている。
心に残る映像のひとつに「葬式」と「結婚式」が分けがたく描かれているシーンがある。
私達日本人の生活でこの二つの儀式はもっと密接であるべきではないか。

絵日記に次のようなことを書いた。

NHKアーカイブスで「夢の島少女」を見た。
以前にBSでの「佐々木昭一郎特集」を録画しているが、
今回は主演の中尾幸世さんの対談があるので再録画したのだ。
このドラマ、映像詩を見るのは何度目のことだろう。
4〜5回ではきかない。
生々しい実感が残っている今のせいもあるが、
それを差し引いても、やはり、今度が一番違う。
もちろん、変わったのは受取手の方であって作品ではない。
ある作品が視聴者の成長、があると信じたい、に従って新しい側面をや
深さを見せるのはそうあることではない。
ましてや、低予算、短期間、大衆性(悪い意味で、通俗性と言った方が良いか)を求められるTV表現では稀なことだろう。

映画で特別な演技指導もせずに素人を使う事は時々あるが、
その意味を本当に考えてみたことはなかった。
佐々木昭一郎の演出では、素人相手にリハーサルはなく一回切り、したがってNGもない。
それがどういう事かやっとわかった。
人間存在だけを示し、演技は観客によって完成する。
自分を失いドラマに酔うことは許されない。
真の創作物の鑑賞に「客」はいない。
各々が記憶を辿り追体験をする。
見ているのは現実のイリュージョンではなく、
パラレルな作品だ。

別な面から言えば、画面にいるのは単なる登場人物ではなく、
演じているその人自身だ。
セザンヌのリンゴはそれが赤い油絵具であることを忘れさせない。
フォトリアリズムではなく、現実がコンバインされている。
イメージはその度に広がる。
ほとんどテレビドラマはNG集の方が面白い。

ドラマが終わっての対談はぎこちないものだった。
それは彼女が芸能界から遠いところにいるのをよく伝えていた。
期待されている答えを無理に引き出したりはしない。
20数年後の少女は、変に若くもなくやつれてもいないのだが、
一般社会で生きてきたような生活感があまりない。
女優らしくもなく、歌手でもモデルでもないのだが普通の平凡な人というと少しずれる。
風貌以外何も知らないくせにあえて言えば、「或る女性」でなく、「中尾幸世」である。
生活感が少なく、姓(芸能人ではないから本名だろう)も変わっていない、独身かと想像する。
私と同世代、やはり、普通の人とは歳の取り方が違う。
音楽に関したドラマで見ていたせいか、美大出身と聞いて意外さと微かな喜びを感じた。

この作品は、表現行為の痕跡を残すことの意義を教えてくれた。
エスキースはないのだ。
描き直しもない。
ただ、時間が積まれるだけ。
メチエは生まれるのであって作るのではない。
大切なのは出会いだ。シナリオではない。

最後に、
対談で紹介された演出の佐々木昭一郎氏のメッセージや
中尾幸世さんの言葉にあった「表現者であることの喜び」に相乗りしながらも、
「素晴らしい作品を創った誇り」は持てないことがつらい。

結論はいつも似ているなぁ。

9月26日
特別な日
20世紀文学の特別な日には結局興味が持てなかった。

来週から後期授業が始まる。
というわけで、
10月からの授業スケジュールを細かく決めていった。

曜日と時間を確認しながら、
モデル事務所への派遣依頼書類も同時作成。
クラスごとのポーズ開始時間も記載。
後はプリントアウトして明日の講師会議で提出。
そこで、一服しているとちょうどクラス担任から電話がきた。
会議の時間連絡である。

「・・・・・・え〜それと、後期の新しい時間割ですが、」
「(新しい時間割?)はぁ〜」
10月から時間割が変わる可能性があるのを完全に忘れていた。
「変わったところがあるんですか?」
「今ここで詳しくはわかりませんが、
変わってます。郵送でも連絡がいきますよ。」

今夜の夢はシジフォスの神話だ。

9月24日
月下美人て
誉め言葉なんだろうか?

今日は、
お世話になっている画商さん主宰の
ピアノコンサートに行って来た。

えらく久しぶりの生ピアノを聞きながら
トルストイの「クロイツェル・ソナタ」を思い出していた。
その時、鳴っていたのは「ワルトシュタイン」だったけれども。

クラシックは決して嫌いではないが、
この椅子に縛り付けられ物音ひとつ立てられない感じは辛い。

「芸術とは何か」
なにひとつ解決はしていない。

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