雪舟
日本的なものの可能性(1)前編

 私の高校時代の友人にS君というのがいて、秋風という画号を持ち、日本画を描くのだと言って芸大を目指していた。
S君とはクラスは別だったが美術部でいっしょだった。やたら日本の文物が好きで、自ら秋風と名乗っていたりしたものだから、部の中ではだいぶ変り者扱いされ、時にはからかわれていた。70年代の私達高校生にとって、日本の文化が好きで、しかも古典好みの学友は非常に特種であった。

 私の高校の美術部では、絵画と言えば油絵であり、画家と言えば、ルノアール、ゴッホ、ピカソ、少数派として西欧の古典美術指向の、ダビンチ、ミケランジェロだったり、現代美術のラウシェンバーグ、ジャスパー・ジョーンズだった。今でもそうだが、美術全集の発行においてもまず印象派から始まり、一般の人々の興味の傾向を伺わせていた。そんな世の中で、時には水墨画など描く秋風君は、『日本人』という異邦人であった。とにかく日本の古典は私達の生活から遠い所にあった。(『古典』という一受験料目はあったが。)

 絵画についてあまりよく知らない頃、高校時代くらいまでは、私の絵画の評価基準は本物そっくりということだった。つまり、どれだけ立体的に、まるで本物がそこに置かれてあるかのように描かれているかが問題だった。だから例えば、レンブラントの伝記の中に、17世紀のオランダにレンブラントの絵画が現れた時それまでのオランダ絵画はみなカルタのような平盤なものと映ったという一文を見つければ、私はレンブラントの虜であった。(皮肉なことに後年、レンブラントの作品を実際に見る機会が訪れた時、セザンヌの作品に慣らされていた私にはレンブラントが少々平盤に映った。)

 大雑把に言ってしまえば、リアリズムという基準を持ち出した場合、西欧の絵画が日本の絵画より優れて思われたのである。問題を、親しみや好みの次限へ降ろしても、レンブラントの肖像画は現実の人間の感じを良く表現していて、少なくとも日本の古い武将の肖像画より身近に思えたし、好きであった。ピサロのセーヌ河畔は歩けても、雪舟の山道はなかなか登れなかった。多くの日本人にとって親しみ易い絵画世界は印象派の風景画であり、日本の古い山水画ではないだろう。また、たまたまそれに興味を持つことがあったとしても、それは『古い日本』という外国の珍しい風物としてではないだろうか。

 しかし、私も少しずつ日本の古い文化に興味を持つようになった。もちろん、それは日本人としての本能に目覚めたというのではなく、おのれの絵画の幅を広げるため新しい分野の開拓としての日本の古典への関心であった。印象派育ちの平凡な私からは、現代美術と日本の古典美術は等距離にあった。絵画という専門を私が持っていなければ、たぶん日本の古典文化に興味を持つことはなかっただろう。

 美術の世界に私が入ってからもっとも長く受けた美術教育、そして私を強く支配していた価値基準は、マネに始まりセザンヌを頂点としてフォービスム、キュビスムヘ至る近代西欧のものであった。
ここ数年、私の興味はかなり多様化し、絵画観も少しずつ変化しているが、いぎ何かについて述べようとする時、一番体にしみついていて、ついつい出てきてしまうのはセザンヌを最良とする考え方である。従って、日本の古典絵画を取り上げる場合でも、その切り口はセザンヌのフォルムを示す。

 以前からもっとも関心のある日本の画家は雪舟であった。理由はふたつある。世界の美術史で通用する画家として雪舟の名をどこかで聞いた。そして、それはセザンヌとよく似ていた。雪舟について調べてみて意外だったことがある。例の雪舟の涙で描いたねずみの話しは、早熟な天才をイメージさせるが、実際の雪舟は少し違っている。雪舟は晩年までも中国の古典を模倣、模写して研究を重ね、自己の様式を完成し、代表作を描いたのは60歳を過ぎてからである。

 雪舟の水墨画の基盤は中国絵画である。彼の師である周文や如拙は、宋や元の水墨画を日本風に洗練した。彼らは中国の水墨画から新しい日本の水墨画を創ったが、それらは絵画から創られた絵画であり、しゃれたものではあるが実感に乏しいものであった。室町時代に日本で基範とされたのは宋や元の水墨画である。もちろん中国の水墨画は、国柄同様、様々な流派を持っているのだろう。しかし、西欧絵画に慣らされた私の眼からは、それらはおおむね北方的なものと映る。水墨画の中の山水画の本流が心の中にある風景を描く非写生的なものであっても、ドイツ、フランドル的なエネルギッシュな細密描写と同じものに見える。一種のリアリズムである。

続く

芸術批評誌「オリヴィア」1987年2月号(エステティカ・オリヴィア刊)より掲載