絵画について語り合う機会や、評論を読んだりすることがあると、画家と評論家あるいは絵を描く者と観る者の間に人きな隔たりを感じてしまうことが多いが、評論家の言葉の中に画家の目を見つけて驚くこともあるものだ。
「……ピカソのコップを描いた小さな絵を見つけて、容易に動けなかった。‥…・私は、この時ほどピカソ風の絵と、ピカソの絵との区別をはっきり感じた事はなかった。それは肉眼を通じたヴィジョンの有る無し、それだけだ、と感じた。ピカソのコップは、セザンヌのコップと全く同じコップである。」
これは多少なりとも絵の嗜みがあったのかどうか知らないが、少なくとも画家ではなかった評論家小林秀雄の言葉である。彼は薯書「近代絵画」でピカソの言葉を使ってコラージユを行っている。
「フィリップ四世をヴェラスケスも描いたし、ルーベンスも描いた。全く別人に見える。本当のフィリップ四世は又別人だったに違いない、私はヴェラスケスのフィリップ四世が一番本当だと思う。ヴェラスケスの力量に、私は説得されるからである。」
ペーター・パウル・ルーベンス(一五七七〜一六六〇)とディエゴ・ヴェラスケス(一五九九〜一六六〇)この二人は共に時代の革新者である。前者はその油彩画技法において、後者は近代的なヴィジョンにおいて。
フランドルとイタリアで誕生した油彩画はやがて相互に影響を与えながらひとつの総合的な技法を創った。それは、フランドルの新しい巨匠ルーベンスによるフランドルの透明性とイタリアの不透明性の併用技法だった。
世代としてはティツィアーノの後であり、イタリア留学によりその影響を強く受けたルーベンスであったが、彼の技法はフランドルの伝統によりしっかりと結びついていた。
彼の使用した地は先人に従った明るい白亜によっていた。絵具や溶剤は樹脂を充分に含み、陰影の表現においては透明性を発揮した。他方、明部においては逆にティツィアーノの厚塗り・不透明技法を取り入れている。その制作においては下絵は充分に乾燥させるが、仕上げの段階は短時間で一気に描き上げた。
絵具の乾燥時間をしっかりと取ることと、油彩画の発展のひとつの方向だったすばやい制作を両立させたのだった。厚塗りからごく薄いグラッシまで油彩画技法の表現の幅を広く利用し、いつまでも美しい画面を保つルーベンスの絵画は、油彩画の技巧家達によって伝統と革新の調和点を示すものとして賞賛されている。
ルーベンスが使った油は復原・調製されてテンペラ・リキド・ド・リュバン、パテ・ベルニ・テンペラ・ド・リュバンとして発売されもした。
けれどもルーペンスの絵画自体からは別の考えが浮かぶ。画家の現実に対するビジョンが進化・変化する前に要領よく作品をまとめてしまう技術の冴えと、膨大な量の似たような彼の作品群が何だというのだろう。ルーベンスは一時的に油彩画技法の崩壊を止めたかもしれないが、その作品の内容において彼が払った犠牲も大きいのではないか。
一方、ルーベンスと同じバロック時代のスペインの巨匠ヴェラスケスに、新しいビジョンを開拓する画家本来の姿勢を見出す。油彩画の歴史では、スペインは最初にフランドルの影響を受け、次にイタリアのフィレンツェ・ローマ・ヴェネチア各派の技法を摂取した。その中でヴェラスケスはヴェネチア派の画風から出発した。
多作だったルーペンスとは違い寡作だったヴェラスケスは、同じ絵を何度も変更し描き直した。彼の「描き直し」では、上から塗り潰した絵具が時と共に透明化し、下に隠したはずの形が浮き出てしまっている。だが、エスキースをもちいることなく現実のモデルに従ってカンバスに直接向う彼の晩年の技法は、現代の技法の先駆けとなっている。
ヴェラスケスはすでに完成した様式、あるいは修業によって創られた己の過去の様式に従うより、自分が絵を描いているその場その時に感じた真実を捕える様式―それは様式と呼ぷにはあまりにも不安定なものだが、ルーベンスのものより現実を捕えわれわれを納得させるもの―へと向ったのだ。
それは二百後の印象派とも関係し、小林秀雄によれば、印象派によって浪費された色彩が整理され抑制されれば、ヴェラスケスの色彩に到達するのではないかとさえ思わせるものである。しかし、当時のスペインにはヴェラスケスの後を継ぐ者はなく、制作での現実との直接対決によって切り開らかれた新しいビジョンは跡絶えた。
18世紀になると美術の中心はイタリアからフランスヘと移って行く、この頃のフランスの油彩画は、フランドルやイタリア各派の技法を折衷して発展したのだが、過去の巨匠達の教訓を有効に生かしたとは言いがたいものだった。
よりすばやい制作を求める画家の気持は乾燥剤の使用を頻繁化させた。乾燥剤というのは、一般生活で使われる湿気を吸い取るようなものではなく、乾性油の酸化重合を促進させる金属塩のことである。マンガンや鉛の酸化塩を加熱した油に加えて使用する。現在「シッカチフ」と呼ばれて広まっているものだ。
手早く制作したい誘惑に駆られてその使用法を間違うと、鉛が絵具を黒変させ、マンガンが絵具を弱くする。もともと乾燥剤は制作の時間を短縮するためよりも、亀裂の原因となる各絵具の乾燥時間のバラツキを調整をするものなのだ。
アントアーヌ・ヴァトー(一六八四〜一七二一)は、厚塗りとグラッシを併用するなど表面的には油彩画技法の多様性を存分に使ったが、本来は樹脂に求めるべき制作の早さや絵具の粘りを、油に限度を越えた乾燥剤を混ぜることによって得ようとしたため、今日では彼の絵は変色と亀裂に見舞われている。
本質的にはヴァトーの技法はフランドルの巨匠達やティツィアーノとは違って、せっかちで杜撰なものだったようだ。被はパレットを掃除することもなく、油を入れた容器には古い油やほこりなどの異物が混じっていた。
ヴァトーは自分の絵の保存状態より「制作中の画家のための眼前の効果」に気を使ったのではないだろうか。今、残っている彼の絵は、変色はしていてもその筆跡は彼が求めた洒脱な自由さを感じさせる。ヴァトーは後世の栄光を捨て油彩画の幅広い表現の世界を自由に楽しんだ。
しかし、油彩画技法が揺らいだのはその土台が不安定になったからだ。自由に感覚的に描かれたヴァトーの絵画は、造形的にも弱く、現実に対するヴィジョンの強い自信に裏付けられた堅固な様式が感じられない。彼はもうルネサンス期の画家ほどは客観世界を信じていなかっただろうし、自己の目に従って新しい絵画世界を開いたヴェラスケスほどの力もなかった。
ルネサンスが築いた遠近法的世界観は、現家を鋭く観察する画家達によって自覚されることなく疑われてきたが、かといってそれに代わる確固たる様式を打ち建てることもできず、絵画様式はルネサンスの枠の中で脆弱化していくしかなかった。
芸術批評誌オリヴィア1984年10月号(エステティカ・オリヴィア刊)より掲載