七〇年代後半になって、日本の画材メーカーから樹脂を含んだ様々な描画用ニスが発売されたが、その中に天然ダンマル樹脂入りの描画用ニスというのがあった。それを知って、筆者などは現実にそぐわない中途半端な材料知識しか持っていないということを思い知らされた。
と言うのは、油彩画で実際に使用される樹脂は大きく分けて二種類あり、硬質で主に黄色から黄褐色のコーパル系と、軟質で無色透明なダンマル系である。当時まで日本で樹脂を含んだ描画用ニスと言えばパンドルがあるだけで、これが無色透明であり、軟質だったから、中に含まれる樹脂はダンマル系のものと考えていた。ところが、わぎわき「天然ダンマル入り」と名乗ったニスが出てきた。つまりパンドルの中味は合成樹脂だったわけである。
日本でパンドルという描画用ニスしか発売されていなかった時代は、油彩画における樹脂の重要性が一般的には認識されていなかったと言って良いだろう。それが七〇年代の伝統的油彩画の再発見・流行により見直されて新しい画用液の発売となった。
実は樹脂の使われかたが、油彩画の技法史においてフランドルとイタリアあるいは古典と近代を分けるひとつのポイントとなるのである。15世紀のフランドル絵画の地の白さを生かす絵具の透明性はこの樹脂によって保障されていた。
イタリアにおける油彩画技法は、フランドルとは無関係に独自に発生し、後になってその影響を受けたらしい。フィレンツェのアンドレア・デル・ベロッキオ(1435〜1488)はテンペラの下絵の上に油彩を施した作品を残している。彼の弟子レオナルド・ダ・ヴィンチは、フランドル絵画とは本質的に違った油彩画技法を使っている。
彼は黄褐色の地を使い、この上に明るい部分を鉛白で、暗い部分をインディアン・レッド(茶色)で下絵を描いた。このように前以って画面全体を中間の明度で塗っておき、明るい部分は白でおこしていく造形方法は、ダ・ヴィンチが完成したイタリアルネサンスにおける明暗法を徹底的に押し進めるのに適したものだった。
このころから油彩画の地が暗くなると同時に絵具は不透明性へと向い、絵具の樹脂分は減っていき、樹脂を含んだ透明な絵異に負う所の大きいグラッシ技法は油彩画の中心技法でなくなる。このグラッシというのは、本来、油彩画において最も重要なものであり、油絵具以外の画材ではなしえない表現を持ち、油彩画技法の本質をなすものなのである。
このグラッシについて少し説明をすると、油絵具の透明性を最大限に利用した技法で、不透明色の上に(樹脂を多く含んだ)透明色を塗り重ねることによって色相・明度を様々に変化させるものである。
これは混色による色の変化とはまったく違った効果を持つ。この技法をグザヴィエ・ド・ラングレは次のように賛美する。
「グラッシが絵具にもたらす豊かさは、妖術にもひとしい。他のどんな手立てもこのような内奥、神秘にはかなわない。」
ヴァン・アイクの主たる技法はこのグラッシ技法であった。しかし明らかに「描き直し」の効かない、初めからの完璧な計画性(すなわち現実に対する不動のヴィジョン)を必要とするこの技法は、微妙な明暗の極をめぎし、繊細な調整を長期にわたり常に加えていくダ・ヴィンチの方法ではなかった。
そしてこれは、確固たるビジョンの基盤を持たない近代・現代人の技法であるはずもなかった。 同じイタリアのヴエネチアでも油彩画は不透明性へと向い樹脂の重要性は減っていく。
ヴエネチアの巨匠ティツィアーノ・ヴエチェリオ(1488〜1576)から、より自由な表現のためにより制約の少ない技法を求め、油絵具は不透明性を強め厚みを増す。彼は「描き直し」を油彩画技法のひとつの過程として認めたのだ。ティツィアーノは有色の地を使い油分が多く樹脂分の少ない不透明な絵具をたっぷりと使ったが、フランドルの巨匠達が守った油彩画技法上最も大切な制約は継承した。
それは、次の行程に入る前に、または「描き直す」前に、下の絵具の層が完全に乾燥するために充分時間を取るということだった。彼は気に入らぬ部分を直すのに数ヶ月あるいは数年という間を取った。では何故、次の絵臭の層を塗る前に、こんなに長く乾燥時間を取る必要があるのだろうか。
油絵具の独特の乾燥メカニズムに関しては前回述べた通りだが、空気と触れる表面さえ乾けば(この状態を指触乾燥と言う)下色と混ざらないように上から描き加えたり、塗り潰したりできる。だがこうすると時間の経過と共に絵肌に障害が現われてくる。下層にできていた絵具の薄い乾燥皮膜は、新しく塗られた絵具の油を吸収してスポンジのようにふくれあがる。このため上層の絵具は色があせてしまうのだ。
さらに下の層が油を吸い過ぎれば上層の絵異は収縮を起こし、それが強い時には亀裂が入る。またダ・ヴィンチの絵画は、褐色で施した下絵が充分に乾かぬうちに上層部が描かれたため下の暗褐色の影響を受け年と共に暗くなってきている。
ティツィアーノは気に入らなければ不透明な絵具を厚く盛って自由に描き直し、仕上げでは指で絵臭を伸ばしたりフランドルの巨匠達と比較すればかなり自在な技法を使ったのだが、作品の持ちを保証する乾燥時間だけは確実に取った。
しかし、ルネサンスの自然を実際の観察に基づいて描こうとする態度は、次第により個人的な移ろいやすいビジョンを開いていく。客観性がまだ信じられていた時代だったが、敏感な画家達は本能的に「描き直し」を通常化していった。そして現実に対するビジョンが少しずつ変化している時に、「描き直す」まで数ヶ月も待つ心構えがいつまでも守られるわけがなかった。
だが16世妃の画家にはまだ、後に疑われるとしても前提となった時代のヴィジョンが、共通の様式が存在したのだ。遠近法的ルネサンスの世界像は未だに安定しているかに思えた。故に、作品の制作段階では実物のモデルを使わず、エスキースと記憶と想像力で描くことができた。傍らにモデルを置いて描くことは、修業としての素描か作品のためのエスキースにおいてのみ行なわれた。
彼らは時代のビジョンを、以前より頼りなくなってはきたが、まだまだ信じていたから、記憶によっても自然はこうなのだと描き切ることができた。さらには、ダ・ヴィンチのような天才ですらも、その時代の大きな様式の範囲の個人的バリエーションを創ったに過ぎなかった。世界を追求する冒険はまったくの孤独な闘いとはなっていなかった。「描き直し」の必要な不安定なビジョンを持つ者ではあったが、16世紀の画家の制作は現代の画家のものと比べればずっと計画的な仕事だった。
芸術批評誌オリヴィア1984年9月号(エステティカ・オリヴィア刊)より掲載