プルーストを読んで

ひとつの読書のために

自画像
1980年
Y.Y.に捧ぐ

 カミュの「シジフォスの神話」は、人間にとって自殺以上に最初に解決すべき問題はない、そんな記述から始まります。この人生には生きる価値が有りや無しや、まずこれを決めなければその他の選択は無意味というわけです。
 約束のある制作、前学期の成績処理、委託されたDTP、今すべき仕事は数多くありました。しかし、それらを保留して、先週末から今日に掛け、ひたすらプルーストの「失われた時を求めて」に没頭し、十年越しの読書にピリオドを打ったのです。
 この作品が終わりに近づくにつれ浮かび上がってくるテーマがあります。それは、はたして自分には芸術家(ここでは小説家)としての才能があるのだろうか、さらに、芸術は(文学は)わざわざ人生を賭するだけの価値を持っているのだろうか、と言うものです。自意識過剰でひ弱な画家がこれを他人事に出来るでしょうか。こんな問題を突きつけられ他にいったい何をしろというのでしょうか。むろん、作品自体の魅力が大きな力で私を惹き付け放さなかったのも事実ですが。

 「失われた時を求めて」の中に登場する人々はみな情け容赦ない描写を受けその身を晒されます(例外としてウルトラマザコンである語り手の祖母と母がいますが)。そこでよく使われる軽蔑の形容がスノッブです。
 私が1996年に第一巻を手に取った理由は、実のところ、このスノビスム以外の何ものでもありません。
 芸術を生業とするからには、多様な芸術表現に通じていたいと思い、古今東西の美術・音楽・文学を見てきました。そんな自分にとって、現代の源流として、美術において「アビニョンの娘たち」「大ガラス絵」を知らない興味ないでは済まされないように、「ユリシーズ」と「失われた時を求めて」は避けて通れなく感じたのです。
 20世紀を代表し現代芸術の礎となった作品として、、、いやいや自分自身の程度に応じて言えば、ようするに、大変有名な、皮肉を込めればみんなが知ってはいる、小説なので読み始めたのでした。他の理由としては、元もと文学趣味がなく読書が苦手で、どんな本を読むにも苦労しますから、どうせ困難なら最も難しいものに挑戦したい思いもありました。
 そして、これを読み始めた年は、自分の制作が大きく変わりだした時期と重なり、また、その後の様々な出来事が思い出され、考えてもみなかった記憶の層を作り、私にとってのひとつの時代となっていました。

 世界で最も美しい風景画の前でひとりの小説家が死ぬ。このフェルメールに関する有名なシーンが最終的に自分とプルーストを繋ぎました。しかし、後半に現れるこのシーンは物語の流れから少し外れているようで何故に必要だったのか今ひとつ分かりません。これは偶々自分が画家なので多様な世評から印象的な箇所として覚えていただけで、やはり、多くの人にとって、この物語を象徴するシーンは、冒頭の紅茶に浸したマドレーヌの味が記憶を甦らせる所でしょう。
 美術の世界でプルーストが出て来るのは多くの場合フェルメールに関してでしょうが、日本のある高名な写実派の画家は、仏文学者からの伝聞と思われる表現で、自作の説明にプルーストを使っています。伝聞、と書いたのは、その要旨が実際に読んだ上でとは考え辛かったからです。物語終盤に主人公でもある語り手が、芸術にとって大切なものは現実性(リアリティ)であり、それを持たない欠陥芸術として写実派(リアリズム)を上げています。当然、フェルメールもシャルダン(プルーストは個別に論文も書いています)も彼にとって写実主義の画家ではありません。
 彼の文学教養にはケチを付けてしまいましたが、かの高名画家は優れた画家であり、作品も確かな地位を占めています。もっとも、ジャスパー・ジョーンズがヴィトゲンシュタインを全部読んだと聞いたある言語学者は「本当かい?」と訝っているのを聞いたこともあり、画家の語る哲学など誤解の助けにしかなりませんから、彼の素晴らしい作品だけをしっかりと見ていれば良いのです。

 結局、今年に入ってから7冊を読んだことになります。しかし、昨年までの9年間では6冊しか読めませんでしたから、独特の長いセンテンスもあって読み易いものとは言えません。(「ユリシーズ」とは違って文法上の前衛性はないので、砂を噛むような棒を飲むような思いはしませんでした。)不思議だったのは、これだけ長い期間に渡りながら、記憶力の乏しい私でも物語の前後が響き合い、プルーストが望んだとおり、全体が大きな構築性を示したことです。伏線などと言う言葉では片付けたくない、ワクワクして心地よい、シーンを繋ぐハーモニーを感じます。事件の謎解きではなく<時間>の悪戯でしょうか。中断を余儀なくされた読書と作品の部分的破綻にも拘わらず、物語が分解することなく充分に楽しめたのは意外でした。
 才能のない芸術家もまな板に載りますが、辛辣な人物批評は社交界の芸術ディレッタントに多く向けられているようです。ショパンの教えを直に受けた姑に、ドビッシーを持ち出して、もはや興味を惹かない古くさい時代遅れの音楽と嫌味を言う嫁(彼女はディレッタント以前ですが)、最初はイメージをつかめなくとも美術に置き換えて考えてみると、ドラクロワ(ロマン派)を否定する、モネ(印象派)ファンとなり、お馬鹿加減が良く分かります。このあたりの芸術観は、語り手である主人公のものか作者プルースト自身のものか、進行につれての語り手の成長もあり、よく考え込みました。

 予備校に通っていた浪人時代、数ヶ月、中野のアパートに籠もって絵も描かず、毎日一冊ずつ文庫本を読んでいたことがありました。美大に入ると、タバコを吸わない自分は月数千円の余裕があるはずと変な経済論を言い訳に、有り金をクラシックレコードの購入に充てたものです。これらの事が自己の作品とどう繋がるのか確信も無しに、量的な変遷はありましたが多くの制作時間を削ってきたのです。
 文学、美術、音楽、演劇、建築、広い芸術領域に渡ったエッセイ集的側面を持つ「失われた時を求めて」は、もし訳注がなかったら随分イメージのつかみ難い小説でしょう。もちろん、私の知らなかった芸術作品・作家も多く出てきますが、それでも若い頃からの集積が生きて訳注に頼り切ることなく読み進めることが出来ました。少なくとも、私の、予備校をサボり、レコードに浪費した生活はプルースト理解の助けにはなったようです。
 主人公とその恋人の間での、ドストエフスキー作品の登場人物を巡る語らいなど、主要作品はほとんど読んでいただけでなく、私淑していた小林秀雄の忠告に従い何度も読み返していたおかげで、とても親近感を得て堪能しました。
 この語り手主人公の成長は、ドストエフスキーの「未成年」を思わせ、最後のどんでん返しがあるのかと期待を持って読み進めました。しかし、作品の構築は違った形で終息し、いつの間にか主人公が作者プルースト自身になったかの錯覚を覚えたのです。

 ヴァントイユの七重奏曲が演奏されるあたりから終盤に掛けて、芸術家の才能と芸術の意義の問題が浮き上がってくると、どうしても先が気になり早く読みい気持ちが高まります。しかし、自分を忘れ熱中させるエンターテイメント性はありませんから、読み進めることの困難さは最後まで残りました。芸術家の才能が自分に備わっているのかと言う問題では、芸術教養に恵まれたスワンとシャルリュスの芸術を作れないディレッタント性を暴露することで、逆説的にそれを照らし出していました。(ところがなんと、その結論の言葉が思い出せません、主人公が芸術創作へと向かうことで暗示していたのでしょうか)
 語り手に対して、芸術への水先案内人でもあったこのふたりは、不本意ながら恋愛においても多様な場面を提供してくれます。最初、芸術を恋愛の姿を借りて語っているのかと思いましたが、このふたつは平行して述べられながらもその結果はかなり違ったものとなっているようです。シャルリュスの同性愛は、プルーストの恋愛観を描くに釣り合ったモチーフで、恋愛は勘違いである、そんな訳知り大人の語るような聞き流しやすい語り口ではその狂気を理解させるには不十分で、あの釘の付いた鞭が必要だったのです。
 「失われた時を求めて」が書かれたこと自体で、芸術問題に関しては明るいポジティブな答えを読み取れます。でも、一見美しい「恋は魂の一部である」という言葉に赤い糸的要素なく、学校に於いて私が教えているような若い世代の女性にとっては過酷な内容です。
 何故か、唐突に思い出した精神病院の場面があります。加筆による破綻なのか二回も出てくるそれは、「彼は一見まともに見えるでしょうが、狂っていますよ。自分がイエス・キリストだなんて言うのですから。だってそうでしょう、そんなわけはないですよ、私がイエス・キリストなんですから。」、これが恋と結びつくとは読んでいる時は予想できませんでした。

 語り手の口調で一番気持ちに引っかかりを感じたのは露骨とも言える女性の若さへの賛美です。あまりに率直な表明は特殊な性的嗜好を語っていると誤解されそうでした。しかし、これは物語終盤で証される普遍的な老い、死、そして<時>への思想に収束していったようです。女性の肉体が変化していく様子は時間というものを形象化する上で恰好のものだったのでしょう。(倉本聰の「時計」は数年間に渡る中島朋子の肉体的成長をモチーフとしていました。)
 もっとも、最後に<時>の餌食となる人間の象徴として登場するのは、女性ではなく、老いの醜さを晒しながらも新しい愛人にみっともなく縋り付くゲルマント公爵の姿でした。そして、そのよろよろと不確かな足取りを、<時の竹馬>の高さに描いたプルーストの文章は何時までも心に響く本当の感動を与えてくれたのです。(ここのプルーストの表現は私の文章では千分の一も伝えられませんし、その前に控える5000ページを飛ばし抜き書いても理解できないでしょう)
 小林秀雄は恋愛事件から関西への逃避行でこの本を持って行きましたが、そこで、「失われた時を求めて」という不気味な題名云々、と語っており、そのことも私がこの作品を読む時期を大きく遅らせた理由のひとつとなっています。耳を覆って物語に埋没する子供の読書ではなく、はっきりと目覚めて作品に自分を照らし、じっくりと繰り返し読みながら作者自身が友人のごとく姿を現すのを辛抱強く待つ読書を、彼の忠告に従って、間違いを犯しながらも続けてきました。たった一度しか読んでいないこの「失われた時を求めて」で、終章に至ると、語り手主人公の、読者に向けた、自分自身を見い出せというメッセージをはっきりと読み、いつのまにかそこにプルースト自身が現れたのです。これほど芸術作品の作者を現実性を持って感じたことはありませんでした。

 この小説が半ばを過ぎて少しずつ面白くなってきた頃から、読み終わった暁には多くの画家仲間に勧めようかと思っていました。もはやまとまった文章など書かないと宣言しているにも拘わらず、こんなものを発表していることで、「失われた時を求めて」の価値を訴えた方が、手軽に掲示板や電話で大げさに言いふらすより説得力があるなどと考えていたのです。
 しかし、これを書き終えた今、全く排他的な感慨を得てしまいました。私の感動は、10年間に渡って全13巻を読み通しただけでなく、生活の選択において芸術を優先させてきた犠牲の上に成り立っているのであり、浪人・学生時代からの、苦手を押した読書や音楽鑑賞、迷い続けた制作、(訳注を読んだだけではパレストリーナは響きませんし、カルパッチオは見えません)、これら抜きで共有できるものではなく、自分なりの足掻きに対する<時>からのご褒美だと思っています。
 そう言えば、プルーストの「失われた時を求めて」を勧めてくれる人は誰もいなかったのです。私もそうしたいと思います。これは私だけのものです。

2005年秋

追記

 この文章は、一昨年にブログ記事として連載形式で書いたものを、ほぼそのまま繋いで載せたものです。その準備自体は、昨年の初めに終わっており、少しの訂正でホームページコンテンツとする予定でした。しかし、怠惰ゆえ一年以上置き去りにしてしまいました。
 今、こうして重い腰を動かした理由は、ある人物の再発見です。「失われた時を求めて」と同じように、その人を理解するには、長い芸術を優先させた辛抱の生活が必要で、それがなければ、その人を旧知の中から見出すことも難しかったように思えます。 大した推敲もなく書かれたブログ記事で、破綻もあり、皮肉にも恋愛に関する項など、暗示しておきながら自分でその後を読み取れなくなったりしていますが、私の人生にとって、<時>からのご褒美であるY.Y.に、これを捧げます。

2007年春