雪舟
日本的なものの可能性(2)後編

 雪舟の代表作のひとつ「秋冬山水図」の秋図を見てみよう。そこでは45度に傾斜した大小様々な矩形が組み合わされて深い奥行きを創っている。画面をはみだす大きな矩形、岩を描写する小さな矩形、それらは重なりセザンヌの絵のように確かな奥行きを示している。タッチはこの矩形に従う。

この面の重なりによる知的な空間に対して、前出の日本の画家達は矢印的意思表示による感情的な空間を創った。この二者の間の差は、かつて私が見た日本のキュビストの仕事、例えば萬鉄五郎の「もたれて立つ人」と、ピカソやブラックの仕事の間にも見られる。多くの日本人は心をこめて空間を求める。西欧人は知性を働かせて空間を出現させる。

 雪舟ははじめ、拙宗等楊と名乗っていたらしい。その拙宗等楊の水墨画には、前出の桃山時代の画家達と共通したものが発見できる。例えば等楊の「蓮花図」は物が動ごめく空間を示し、植物というよりは何か魚でも水面で飛び跳ねたような絵になっている。また「出山釈迦図」の着衣の線は、海北友松や長谷川等伯に通ずる表意文字的タッチとなっている。この拙宗はやがて雪舟になる。

 雪舟は中国の画家から絵画の構成を学んだ。そして、渡明し、中国の実景に触れることで、自然の実感を知った。けれども、中国の風物や、宋や元の水墨画だけで雪舟の水墨画が生まれるはずはない。中国の水墨画を雪舟のものと比較したとき、雪舟のラテン的構築美に対して、北方的リアリズムと映る。雪舟は、中国絵画に学びながらも、それを、日本化というより普遍化していったのではないだろうか。日本人の才能が普遍性を持ったまれな例ではないか。

「山水長巻」や「秋冬山水図」のような雪舟の自己確立期の作品では、繊細とか豪華とかいう日本性を超えてひとつの普遍性に達している。「山水長巻」に多くの論者は、日本の四季の微妙な移り変わりを見るが、そのようなあいまいなものより、豊かな造形的変化に魅了される。厳しく奥行きを刻む岩々、奥行きを抑えた静かな場での情意性を排した定規で引かれた家々の線、細部の無機的抽象的な表現、しかし画面全体から出てくる自然のリアリティ、微妙な雰囲気もある。このような世界を築いた日本人画家は少ない。

 私の絵画規定はセザンヌを中心とした西欧ラテン世界に片寄ったものかもしれない。だが、雪舟がセザンヌやキュビスムを知るはずもない。彼が自発的に自己の絵画を発展させていったとき、それはセザンヌを先取りした。その水墨画は私には世界の美術史上の巨匠達と肩を並べて見える。また、雪舟ははじめ拙宗等楊といういかにも日本的なローカルな画家であったことも覚えておいて良い。彼は中国の伝統から新しい普遍的な日本絵画を創造し、それを超えた。

 私の雪舟論には多くの疑問点があるだろう。セザンヌを頂点とする西欧古典絵画を普遍的価値基準として良いのか、北方的、表現主義的なものを低く見て良いのか、これは様々な流派、主義のひとつに過ぎないのかもしれない。だが、自らが芸術にたずさわる者にとっては、自己の基準の普遍性より重大な問題がある。

 長谷川等伯の「猿猴図」を、その手本となった中国の巨匠物谿の「猿猴図」と比べてほしい。そこには様々に形容できる『日本的』な美しい世界を見ることも可能だが、根本的には中国絵画の亜流に過ぎない。このような感想は、ほとんどの日本人水墨画家に言えそうである。雪舟を除いて、宋や元の画家の匹敵する画家はいない。

けれども、長谷川等伯の傑作「松林図」に私はある種の親近感を覚えるのだ。雪舟より等伯に日本人である『私』を見つけることはないだろうか。雪舟は偉大である。しかし、私の絵画とどのような関係を持っているのか。それは伝統となって私達の中に生きているだろうか。長谷川等伯の器用な亜流性の中に日本美術界の伝統を見たくはない。

 雪舟は正しい、等伯は悲しい。人は必ずしも正しくは生きない。時に性格は倫理に背き、性格は倫理に傷つく。芸術において正しさとは何だろう。

芸術批評誌「オリヴィア」1987年3月号(エステティカ・オリヴィア刊)より掲載